2013年9月30日月曜日

ロゼストオーダーメイドスーツ Vol.34

振り返ってみますと前職時代を含めるとオーダーメイドに携わって早18年の月日が経とうとしています。

当時は「KITON」や「ISAIA」、「Belvest」等、いわゆるクラシコイタリアと呼ばれるイタリアのクラシックスーツが本格的に日本に紹介され始めた時期で、その軽い着心地や流れるようなシルエット、細番手の素材使いなどに私自身もすっかり魅了されていました。国内のスーツ工場にイタリアのスーツを持ち込み、バラバラにしてそこからパターンを作ってみたり、イタリアで買ってきた芯地で作らせてみたり・・・試行錯誤の毎日でした。しかし一向にイメージするものは出来ずサンプルチェックと工場周りに時間を費やすばかり。

その間に国内のスーツ工場はどんどん閉鎖され、私が関わっていた工場も残念ながら幾つかは廃業となってしまいました。現場は高齢化がすすみ、稼働率も軒並みダウンし、どちらかと言えば斜陽産業化していたスーツ工場。そんな中、ある人物との出会いによってその後今に続くロゼストのオリジナルオーダーメイドの原型が出来ていきました。

それは関西の某工場で出会ったS部長。第一印象は声の大きいおじさん(笑)。そのS部長、今まで出会った工場の方達と一つだけ大きな違いがありました。当時20代後半だった私がパターン製作の為にある工場の裁断責任者やパターンナーの方々を前に「ここはこんなイメージでこのような見え方」、「ここはもっとヴォリュームを出して欲しい」、「この部分にもっと丸みが欲しい」etc・・・とにかく当時はイタリアのスーツを啓蒙していたので、ダメ出しばっかりしていた訳です。工場の方達の反応は概ね「技術屋でも職人でもない若造が理想ばっかり言っとる」的な捉え方で、うちのラインではこれが限界ですと途中で断られるケースが常でした。

しかしこのS部長、まず違ったのはミーティングの席に工場の若い方を同席させ、皆で私の話を一生懸命聞いてくれ、途中で絶対に口を挟まないという事。普通はラインで流れている工場ですから製作過程の全てに限界値があって、その中で出来ない事はすぐに無理ですって言ってくるものなんですが、
S部長はニコニコしながら若造の理想に耳を傾けてくれました。そして「おもろそうやからやって見ましょう」と言って当時その工場で生産していたパターンや縫製工程と全く違うモデルの開発を引き受けて下さったのでした。

それが2000年前後の事、そこから私とS部長の執念のモデル作りが始まったのでした・・・

                                                             
                                                             つづく